荒神社こうじんんじゃ
鎮座地 | 三津屋163-1隣地 (かどや食堂隣) |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | 大火を鎮めるとの伝承がある。 |
ご利益 | 火防 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 三津屋163-1隣地 (かどや食堂隣) |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | 大火を鎮めるとの伝承がある。 |
ご利益 | 火防 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 三津屋202付近 (なが彌金物店横を南下) |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | 不詳 |
ご利益 | 不詳 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 三津屋742-4付近 (東予・丹原浄化センター北約200m(大曲川河口右岸 旭水門横) |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | 旭新田造成時の工事安全を祈願して祀る。 |
ご利益 | 不詳 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 大氣都媛神・大年神・御年神・若年神・大国主神・猿田彦神・喜野明神 |
御由緒 | 元禄から宝永の頃、虫害や風水害が相次ぎ、明神の助けを求め大氣都姫をはじめ諸神を境内の出雲神祠に勧請合祀し、豊作祈願をし五穀豊穣の神徳を賜り、里人の尊崇をあつめる。宝永二年のことである。創建時、数百年を経た大樹の空洞に老狸「喜左衛門」が栖んでおり、神通力に優れ人に物にと変幻自在、術は巧妙であったが、あるとき瓦師を騙した折に捕えられ、釜に投げ入れられ焼き殺された。その後、疫病流行、火付け、盗賊の災いおおく、老狸の祟りと恐れ、神号を「喜野明神」とし和め祀る。鶴岡八幡神社の摂社である。 |
ご利益 | 五穀豊穣・家内安全・無病息災・商売繁盛・交通安全・学業成就・男女和合 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 神宮皇后・仁徳天皇 |
御由緒 | 文禄四年の震災により、鶴岡八幡宮の社殿楼閣をはじめ古文書古器物の類悉く陥没、慶長年間に神殿を改築した。往古の八幡宮を表八幡と称し、本社を裏八幡神社と称するところである。 |
ご利益 | 学業成就 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 木花咲耶姫命・藤御前 |
御由緒 | 天文の頃、当地の住民で押領使の土居兵馬重行が預かる里人「藤ノ前」の美貌を妬み、土居兵馬の妻が無実の罪をきせ、水火拷問に加え蛇責めで殺した。のちに妻は祟り苦しみ、藤ノ前の霊を鎮めるため顕国玉姫を祈祭し、天文四年に藤御前社・藤権現社二社をつくり祀った。明治四十五年四月十九日、神社合祀令により旧社地より遷座する。藤権現社は現在の宗教法人藤之神社。(旧社地は藤之神社の南隣) |
ご利益 | 女性の信仰 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 事代主命 |
御由緒 | 蛭子社との記載もあり。勧請年代不詳、元禄正徳の神明帖中、弁財天と記載の社あり。社名変更で現在に至る。蛭子六六二番より明治四十五年四月十九日遷座する。 |
ご利益 | 村内農商繁栄 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 大名牟遅命・大山積命・氏子諸家祖神 |
御由緒 | 多賀地区氏子多数の祖先神として祭祀するも、現在は広江・今在家・西条などの氏子外の当屋で祭祀する。 |
ご利益 | 不詳 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 菅原道真公・白太輔公 |
御由緒 | 延喜元年、菅公大宰府左遷の折、風波の難遭って越智郡桜井海岸に漂着せられ、そこから乗船し壬生川に着き陸路にて道後に赴く際、村内樋之内に立ち寄られ、御一行に白太輔が仮の斎殿を設け菅公冤罪の祈願を天に祈らえたことに因み、応和元年二月、土民により神殿を創建した。元禄八年の神明帖に「上之天神」とあり。明治四十五年四月十九日、樋之内二七一番より遷座する。 |
ご利益 | 学業成就 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 金山彦命・五方神 |
御由緒 | 村内の鍛冶屋喜惣兵衛なる者、災難多く厄災除のため文安二年十一月七日に勧請。明治四十五年四月十九日、蛭子六四六番より遷座する。 |
ご利益 | 不詳 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 大山積命 |
御由緒 | 創建年月不詳、正徳の神明帖に「三島大明神」とあり。明治四十三年、鳥縄八五一番より遷座する。 |
ご利益 | 不詳 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 伊佐那岐命・伊佐那美命・青木氏祖神(御祭神は、天御中主命の記録もあり) |
御由緒 | 享禄年中に土佐より黒川肥前守高堪が石田郷に移住、その族中の青木民部が享禄二年九月五日に祖先の霊を斎き鎮めるため勧請した。明治四十四年、五反地五九五番より遷座。元山家縁者により祭祀がなされている。 |
ご利益 | 青木家・元山家守護 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 三女神 |
御由緒 | 文明年間に疱瘡退散を祈願して勧請する。 |
ご利益 | 疱瘡平癒 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 須佐之男命 |
御由緒 | 創立年月不詳、疫病退散牛馬守護のため勧請する。 |
ご利益 | 防疫・牛馬守護 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 石凝姥神か? |
御由緒 | 不詳 |
ご利益 | たごり(咳)治癒 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | 不詳 |
ご利益 | 猿田彦神 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 日清・日露戦争以降の多賀地区戦没者英霊 |
御由緒 | 昭和三十八年、多賀地区老人会有志二十名(戦友、遺族含む)により、戦後放置されていた奉安殿を譲り受け創始する。 |
ご利益 | 英霊慰霊 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | もと上条鎮座の天満神社に隣接、明治四十五年に天満神社とともに遷座されたと思われる。 |
ご利益 | 山内姓縁者守護 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | 不詳 |
ご利益 | 岡田姓縁者守護 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |
鎮座地 | 北条五反544 鶴岡八幡神社境内 |
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御祭神 | 不詳 |
御由緒 | 不詳 |
ご利益 | 黒川姓縁者守護 |
管理神社 | 鶴岡八幡神社 |