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九月五日、島根県隠岐の島「竹島之碑」にて約百名の参列のもと、竹島領土平安祈願祭を斎主として奉仕しました。愛媛神青からも野口会長始め五名が参加しました。

竹島は古来より日本の領土として漁が行われてきました。大東亜戦争後の昭和二十七(一九五二)年一月に韓国は、いわゆる李承晩ラインを一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込みました。これは明らかに国際法に反した行為であり、我が国として認められるものではありません。それにもかかわらず韓国は、竹島に警備隊員などを常駐させ、宿舎や監視所、灯台、接岸施設などを構築してきました。このような韓国の力による竹島の占拠は七十年以上続いており、日韓漁業協議会の調べでは、昭和四十(一九六五)年に日韓基本条約と漁業協定が締結されるまでに、拿捕された日本の漁船は三二八隻、抑留された船員は三九二九人、死傷者は四十四人にのぼります。損害額は当時の金額で九十億円を超えたとされています。

「竹島之碑」は神青協六十五周年記念事業として、日本海における殉難者の御霊を慰め、竹島問題のいち早い平和的解決を望み、日本海が幾久しく穏やかな海であるようにとの願いを込めて、全国各地区各単位会の皆様はもとより、地元隠岐の島町の人々をはじめ多くの方々と祈り捧げるべく建立されたものです。

神青協の祈願碑での祭典は五年ごとの周年の際に行われていますが、七十周年の際はコロナウイルスの影響があり、現地での祭典は叶わず、今回が建立以来十年ぶりの祭典となりました。

祭典当日、天気は良好でしたが風が強く舗設に時間がかかり、習礼の時間があまり取れず、着装する場所まで車移動と準備もバタバタでした。急いで着付けをして斎場に到着すると、来賓としてお呼びした六十五周年と七十周年時の神青協役員をはじめ約百名の参列者が綺麗に沈黙して整列しており、緊張感が漂っていました。そして晴れ空のもと暑い日差しに照らされながら、恙なく竹島領土平安祈願祭を斎行しました。祭典中には玉串舞が奉納され、笛と太鼓の奏楽の中、領土の早期復帰と日本海の平安を願い祝詞を奏上しました。

その後、会長始め来賓の方からお言葉をいただき、同じ領土問題を抱える北方領土は内閣総理大臣をはじめ各政党代表などの出席の下、全国大会が行われているにもかかわらず竹島に関しては無いこと。既に竹島に様々な設備を置いている韓国に配慮する必要はなく、隠岐に自衛隊を誘致してほしい。等想いのこもった言葉をいただきました。

竹島「竹島之碑」の裏面には明治天皇御製「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」と刻まれています。日本海に平穏が訪れ、竹島にてこの祭典を行える日が来ることを強く願います。

【神青協】竹島之碑動画リンクURL

愛媛県神道青年会 監事 柳原永祥